August 31- September1, 2014, Provence 南フランス、プロヴァンス地方への一人旅

August 31- September1, 2014, Provence
アルルにあるゴッホ「夜のカフェテラス」のモデルとなったカフェ


8月末、予定していたウィーンやドイツは交通が高すぎて諦め、南フランスへ行くことにした。音楽や美術を通して耳にする地名だった。プロヴァンスというのは正式名称と言われるものではなく、20世紀後半よりプロヴァンスとオート=アルプやニソワ地方は統一されプロヴァンス=コート・ダジュール地方が設置され、今に続いている。かつてのプロヴァンスは下の通りのフランス南東部である。アヴィニョン、アルル、マルセイユ、ニースといった町がここにある。いずれもパリからのTGVで一本で足を運べる。ちなみに、provinceというのは首都以外をひっくるめて言う言葉で、固有名詞ではない。

ジュネーヴからプロヴァンス地方へのTGVは昼に出て夕方着く一日一本のみだった。それでは観光する時間がとれない。そこで、早朝からジュネーヴを出てパリへTGVで向かい、アヴィニョン行きのTGVに乗り換えた。TGVはフランスの高速鉄道であり、時速300kmほどで走る。ジュネーヴからパリがTGVで3時間過ぎ。パリからアヴィニョンがTGVで2時間半ほどだった。片道あわせて2万円ほどだった気がする。

パリからアヴィニョン行きは、ユーレイルパスを併用して購入したかったが、ネット購入でユーレイルパスの受け取り方が郵送と、現地の窓口で千円ほどの手数料を払って受け取る方法しか選べなかった。宿への郵送は試したこともなく、出発は明日に迫っていたので、パリに着いてからアヴィニョン行きチケットを買うことにした。繁忙期は、一本後の列車になることもあるらしいが、それで一時間程度待つのは仕方ないとも思った。

パリに昼前に着くと、パスポートをジュネーヴに忘れたため、ユーレイルパスを買うことができず、定価のチケットだった。26歳未満割引のシートは既に満席だった。昼過ぎにアヴィニョンに着いた。

パリを出るTGV

アヴィニョンのサン=ベネゼ橋。「アヴィニョンの橋の上で」を聞けば誰もが撞鐘を思い出すだろう。この橋は度重なる決壊により今も途中までしか続いていない。この写真はローヌ川の真ん中で切れる端より撮った。宮殿も見える。
古いフランスの民謡「アヴィニョンの橋の上で」 アヴィニョンの橋で踊るよ 踊るよ♪

当初、アヴィニョンへ行こうと思ったのは、ニューヨーク近代美術館の所蔵するパブロ・ピカソ「アヴィニョンの娘たち」を思い出したことがきっかけだったが、そのアヴィニョンはスペインのバルセロナにある通りの名前だということを着いてから知った。この小さな町では、通りのいたるところで大道芸が演奏し、画家は描き、若者は結婚式を祝福されていた。南フランスはラベンダーが有名らしく、ラベンダーの袋詰や、石鹸などが売られていた。石鹸は非常によい香りがした。一つおみやげに買った。

アヴィニョンからアルルへは地下鉄で20分ほどで着く。バスだと迂回するのでもっと時間がかかるし高くなる。この日は電車が少なく、アルルは一時間ほどしか滞在できなかった。町は小さかった。軽く散策した。


ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ「夜のカフェテラス」のモデル。ゴッホはアルルを気に入っていた。住んでいた。精神病院にも入った。

アルルにある円形闘技場。この日は闘牛のために列ができていた。ビゼーの組曲「アルルの女」は、男が円形闘技場で見かけた女に惚れるところから始まる。

ここでアヴィニョンへバスで戻りTGVでアヴィニョン - パリへと戻った。翌日の明け方、携帯は盗まれた。この記事の画像は、アヴィニョンのマクドナルドで偶然友人に送ったことがバックアップとなった写真だ。他の画像は失ってしまった。アヴィニョンのすてきな石鹸屋さんも、宮殿の上からの眺めも、TGVからののどかな眺めも、祝福される結婚式など、見せたい画像はまだまだあった。




翌日、バルビゾンやラヴェルの家へ行こうとした。ラヴェルの家は二度目の予約だった。一度目は、インターネットに繋げられず、メールが確認できず、予約が完了したか不明だった。今回は、最寄り駅モンフォール・ラモリーに着いたものの、そこは何もなく、人も看板もタクシーもない辺境だった。その駅から徒歩45分という僻地へ地図も持たず到着することは不可能だった。諦めた。

その日の午後、フォンテーヌブローへ向かう列車に乗った。バルビゾンへは、その駅からタクシーで行くのだそう。駅に着くと、タクシー乗り場には「タクシーは電話しろ」と書いてある。携帯は盗まれていたので、近くでタクシー待ちをしていた旅行客の女性に電話をお願いした。タクシーは観光客の多さに間に合っていないらしく、来ないとのことだった。その女性がバルビゾンへ行くのなら幸いだったが、彼女はミレーもバルビゾンも知らないらしかった。

フォンテーヌブロー城を歩き、おみやげショップの人にバルビゾンへの行き方を尋ねたが、知らないとのことだった。仮にたどり着いても、帰りのタクシーを拾えず、TGVに間に合わず帰れないかもしれないと思った。バルビゾンは、レンタカーかツアー旅行でないと不可能だった。

余った時間でオルセー美術館へまた行った。前回は半分ほどしか見れず閉館時間となってしまった。草上の昼食や、ベルト・モリゾを見れた。




ふと思ったが、「描く」という日本語は非常にあいまいだ。「描く」ことは画家の専売特許ではない。音楽も、絵画も、小説も、自然科学の方程式も、全て「描く」という言葉で表現される。どれも再現するのとは違う。人間の生産的な営みはおよそ「描く」という言葉で表現されるものなのだろうか。

対象→人→作品

という構造が成り立つ。画家は見たままを描くのではないことと同様だろう。こう捉えたとき、「描く」の英訳はdraw よりも create という言葉のほうが近いかもしれない。このあたりを突き詰めると、現象学や認知もからんできて興味深い。


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