書評 ニコラス・G・カー(2010). 『ネット・バカ』(NICHOLAS CARR "THE SHALLOWS"), 青土社

ニコラス・G・カー(2010). 『ネット・バカ』, 青土社の書評




一気に読んだ。目の前の霧が晴れるような心地がした。これはテクノロジーとメディアについて考える本である。バカっぽいタイトルだが、神経科学、脳科学、メディア史、そして数多の実験をもとに書かれている真面目な本だ。約350ページある。原題は"THE Shallows"。浅瀬という意味だ。ネットにより人々が表層的にしか物事を考えられなくなっていることを示している。

Abstruct

ネット・サーフィンは、書籍と違い、大量の情報を飛ばし読みすることで、脳の構造を変化させ、人は集中力を失い、記憶力を悪くし、深い思考ができなくなる。



本書は次のような人に読んでいただきたい


  • 注意散漫になってきた。集中力が続かない。
  • いつも器用にタブを切り替えて作業している。
  • 検索することで知識は得られる。覚える必要ない。脳にはインデックスがあればいい。
  • 紙の本よりも電子書籍の方が圧倒的に優れている
  • ペーパーレス化をすすめるべきだ

注意散漫な人は、その原因が平素のネット・サーフィンやスマートフォンにあることがわかる。脳のアウトソーシングをすすめる人は、それが間違っているとわかる。

脳の可塑性

脳細胞は生まれたときから増えずに死滅していくのみだと、従来は信じられていた。その考えは20世紀にマーゼニックによる研究をきっかけに変わった。ニューロンは新たに生まれることがあり、シナプス結合の強弱は柔軟に変化する。脳は、刺激の受け皿を常に欲していて、日頃行う思考や言動のストレスを減らすように発達する。聴覚を失えば、周辺視野を処理していた領野が発達して、音で認識していた範囲を目で見えるようにする。毎日一時間ピアノを弾くだけでも、脳の幻肢は脳のニューロン、シナプスが混乱して再構成されている中途段階であると今では考えられている。ニューロンやシナプスは、思考の質には関係なく、よく使われる精神的スキルを磨き上げ、使われない精神的スキルをふるい落とす(ジェフリー・シュウォーツの言う多忙者生存)。

テクノロジーは制御不能

マクルーハンの言っていた通り、メディアの中身はメディアの形態によって変わる。さらに、メディアは人間の思考の束すら変える。「テクノロジー決定論」と「道具主義者」を比較すると、前者が正しいと思われる。その意味するところは、人間はテクノロジーを制御できず、それにフィットするように生活や思考を作り替えられる。時計が時間を均質に等分したことや、地図によって抽象的な空間概念が視覚化されたことなどが例だ。道具主義という、テクノロジーを人は制御できるという考えは間違っている。あるテクノロジーが誕生したそれがどのような世界を築きあげるかは想像がつかない。テクノロジーは人の主人でもあるのだ。

書き言葉、句読点、本、活版印刷といったテクノロジーは世界及び人々の思考回路を作り変える。それによって失われるものもあれば、得るものもある。本の登場によって記憶が弱まるなどと言われたが、そんなことはなかった。集中力が増した。人々は様々な本を手に取り、多くを記憶して考えるようになった。

インターネットのない時代に戻ろうなどと非現実的なことは言わないが、それによって人々がどのように影響を受けるかを考える必要がある。

書籍とネット・サーフィンの違い

書籍では、直線的に深く読む。飛ばすこともなく、他のものに注意を逸らされることもなく、視線をはずすこともない。概念について深く考えることができ、内容の理解度も高い。記憶もしやすい。これが従来の意味での読み方だ。

しかし、ネットサーフィンでは、異なる読み方をする。非直線的で浅い読み方だ。ハイパーリンクを踏むか踏まないかのジャッジがある。パソコン自体もマルチタスクだ。リンクを踏んだり、タスクを切り替えると、切り替えコストが脳に数秒かかる。そのようにして、注意散漫に脳を切り替えると、それぞれのタスクに対する理解が追いつかない。また、多くのリンクやウェブページがある情報の過負荷状態では、作動記憶が処理しきれず、集中できず、長期記憶にうつせない。あまりにも多くの注意を向けるものがあるので、拾い読み、飛ばし読み、キーワード探しをして、とても読み方が浅い。情報が無限に提供され、ページの滞在時間も数秒と短い(ページの掲載語彙数に滞在時間は比例しない)ので、脳は莫大な情報を処理するよう働く。

また、無限大の容量を持つ長期記憶では、概念的スキーマ、体系も保存される。個々の知識だけではないのだ。しかし、作動記憶から長期記憶への移行は、注意を持続的に向けることによって達成される。注意散漫なブライジングでは難しい。

脳のアウトソーシングとしてのHDD

これは間違っていると言う。脳とHDDは違う。脳では情報を受け取った後、長い時間をかけて処理するが、コンピュータはただちにメモリに保存する。想起のたびに回路は作り変えられ、知性は拡大する。ウェブは、論理的思考能力のリソースを奪い、長期記憶の形成を妨げ、忘れやすくする。それにより、思考が浅くなる。インターネットに接続することで、シナプスの接続、構築を失う。個々人の記憶の集合体が文化である。文化とは0と1の総和ではない。その文化すらも失われうる。


ここからが僕の意見


自分も脳のアウトソーシングを積極的に支持していたが、考えが変わった

僕は、大学に入る頃、本書に出てくる脳のアウトソーシングを主張していた。ネットで調べればすぐに答えがわかるようになるし、その傾向は今後も加速することは明白だった。そこで、様々な事象、学問分野について、浅く学び、脳にインデックスを作ろうと思った。知っていなければ検索すらもできないからだ。それは達成されたように思われる。広く浅く学んだ人間は山ほどいる。そこで、物理を主軸にしつつ、広く浅く学ぶことにした。ある程度、それは達成できた。しかし、問題がある。それは間違っていたのだ。

大学で学んだことはよく覚えていない。大学にいる間はネットばかりしていた。四年間をふいにした。ネットで調べたものは、よく覚えてない。パソコンを開くと、積極的にマルチタスクをして注意を逸らしていた。器用なマルチタスクはいいことだと思っていた。ワード、ブラウザー、ブラウザーの中のタブ、ターミナル、IDEなどをAlt(Win)+Tabで器用に切り替えて作業をする。そして、twitterやfacebookやmailの通知にも忙しく反応していた――素早さは信用に繋がると信じて――。

本書を読んでみて、やっとモヤモヤしていた霧が晴れたような気がした。「そういうことだったのか。」と思った。読み方には二種類ある。従来の意味での本を読むときの「直線的な深い読み」と、ウェブをブラウジングするときの「非直線的な浅い読み(パワー・ブラウジング)」だ。言われてみれば、そうだった。ネットの文書をpdfにして印刷した方が読みやすいのは気のせいではない。それはモニターに慣れていないからではない。ペーパーレス化は、社員をバカにする。

インターネットは偉大であるが、人間の脳のニューロン、シナプス構造を変化させる。注意散漫な状態にし、記憶力を落とし、莫大な情報を手早く処理するコンピュータのようにしてしまう。注意散漫で、深く考えることもできず、読解もできず、長期記憶もできず、概念スキーマも覚えられない。知識や体系がないことは、思考できないことにつながる。

もしかすると、映像授業、特にウェブで行われる授業は、成果が出ないのかもしれない。リクルート社の受験サプリも、怪しむべきかもしれない。

もっと本を読まないといけない

読書は、それ自体に意義がある。読書は集中力をもたらし、概念的スキーマを与える。読書が電子書籍やネットブラウジングに代えられると思うのは間違いだ。また、本書で、小説を読むときすら、その主人公を追体験するように脳が活性化すると書いてあったのも衝撃的だった。小説を読むことで、人の立場、考えなどを受け止められるのは、本当なのかもしれないと思った。

人が習慣の奴隷と言われるのは脳の可塑性あってのことかもしれない

脳の可塑性ゆえ、ある精神的スキル、動作に慣れれば慣れるほど、それに使う脳の領野は発達し、容易になる。ネットブラウジングに慣れれば慣れるほど、考えることができなくなる。人間が習慣の奴隷だと言われる所以かもしれない。人間は習慣のとおりにしか行動できない。習慣を変えるのはとても難しい。そしてマイナス思考に陥ると、そのように考える癖がついてしまう。プラス思考も然り。

そして、毎日続けることは大事である。怠ることで、せっかく成長していた脳の回路が弱まってしまう。 次の引用もそれを示唆している。

意識が変われば行動が変わる。行動が変われば習慣が変わる。習慣が変われば人格が変わる。人格が変われば運命が変わる。
―ウィリアムジェームス

人間は習慣の奴隷である。何人も、この命令者には抵抗しえない。
このゆえ、成功を願うものは自分で習慣を造り、自らそれに従わなければならない。
―オグ・マンディーノ「地上最強の商人」より

読書は知的階級の特権である  

読書は、知的階級の特権になる。逆に、知的階級への参加券が読書だ。時代は、インターネットの拡大、データの莫大な増加に向かっている。人は、多くの情報を取捨選択して処理する機械のようになりつつある。急速に成長したTwitterを見ても、一目でわかる140字位内の短い情報ばかりで、一つ一つに注意を払う必要もなく、集中力も要されず、読み飛ばすような設計になっている。最近、キュレーションメディアが増えてきた。しばしばコンテンツを人のツイートやブログから無断拝借して怒られたり、イイネしないと先が読めないなどと強要したりと悪質なことで怒られるメディアだ。一つ一つの記事はとても短いものが多く、読み飛ばすというよりも、一目で目に入る。直線的に読むこともなく、、集中力が要求されることもない。そして、サイドバー、ページ下部では、他の記事への数多のリンクがクリックを待っている。そのような時代にあって、注意を惹くものが多すぎる。僕もメール、Twitter, Facebook, Messenger, Lineなど常に多くの通知を受けている。本を読んでいても、勉強していても、スマートフォンを手許に置いてしまう。そして、通知のたびに確認するので、どこまで読んでいたか、何が書いてあったかなど、また思い出さないといけない。全然、集中できない。僕の脳の回路も重大な損失を受けているのだと思われる。多くの人々が、この傾向であろうし、これはこの先も深刻化する。StarbacksでMacBookを広げてキャラメルマキアートを飲みながらスマホでLineの返信をしている場合じゃないのだ。そのような病理を抱えた社会では、敢えて努力して読書をするような人はとても貴重だ。そういった人々は話に深みがあり、各分野の知識を体系的に長期記憶に入れて、学際的な話ができる。そのような人は、そのような似た人と話が合うだろう。物事を浅くしか考えられない人とは付き合いが困難かもしれない。本を読むことは知的階級なのだ。

人々はインターネットとの付き合い方をもっとよく考えるべきだ

インターネットとの付き合い方をもっとよく考えないといけない。グーグルの創業者は書籍"How google works"「テクノロジーは世界をよくすると信じている。」と話していたが、それは安易に受け止めてはならないのかもしれない。皮肉にも、本を読むような人のみ、この本を通して考えられる。本を読まない人は、メディア、テクノロジー、インターネットについて考えを深めることないかもしれない。


そして、このような長い記事はインターネットに掲載するのに向かないし、ここまで読んでくれたあなたは、類まれなる集中力を兼ね備えた人物なのだ。

目次

目次を揚げておく。そこで主張されている内容も括弧付きで一行にまとめてみた。

プロローグ 番犬と泥棒
第1章 HALとわたし (ネットがもたらす違和感への気付き)
第2章 生命の水路 (脳の可塑性)
脱線 脳について考えるときに脳が考えることについて
第3章 精神の道具 (メディア史、本の誕生まで)
第4章 深まるページ (活版印刷の誕生)
脱線 リー・ド・フォレストと驚異のオーディオン
第5章 最も一般的な性質を持つメディア (HTMLが音声も映像もテキストも包含すること)
第6章 本そのもののイメージ (電子書籍と本の比較)
第7章 ジャグラーの脳 (ネットがもたらすシナプス構造の変化に関する数多の研究及び実験)
脱線 IQスコアの浮力について
第8章 グーグルという協会 (グーグルが目指しているもの、実現する世界とその哲学)
第9章 サーチ、メモリー (脳の記憶メカニズムを踏まえ脳のアウトソーシングをHDDにできない説
明)
脱線 この本を書くことについて
第10章 わたしに似た物 (テクノロジーが溢れて思考と考察ができなくなること)
エピローグ 人間的要素

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