8/22-24, 2015 ドゥブロヴニク (クロアチア), 観光 / DUBROVNIK (CROATIA) 1/2

8月22-24日クロアチアとモンテネグロに行きました。美しい町でした。



モンテネグロへ日帰り旅行した記事は別に書きました。ドゥブロヴニクだけでも長いので、モンテネグロの前後で記事を分けました。





 ドゥブロヴニクについて。
 歴史についてはドゥブロヴニク/登城記|タクジローの日本全国お城めぐりWikipediaが参考になります。中世、まだラグーサ共和国だった頃は、ピサ、アマルフィ、ジェノヴァ、ヴェネツィアと共に五大海洋共和国と数えられていました。その後、ナポレオン侵攻、二度と世界大戦、独立紛争などで支配下や国名が変わるなど、大変な時代がありました。
 1974年、ドゥブロヴニク旧市街は、次の基準を満たし、世界遺産に登録されました。

  • (1) 人類の創造的才能を表現する傑作。
  • (3) 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。
  • (4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。

DUBROVNIK空港から旧市街まではバス40分40Kn (1Kn=約18円)

アドリア海を左手に走る。バスには左側に座った方がいいですね。

旧市街に着きました。街壁がありますね。バスの停車はここだけなので、間違えて降り過ごすこともないです。ちなみに、帰りのバスはピレ門ではなくケーブルカー乗り場横から出てるので気をつけてください。

門を過ぎました。東京までは1万キロですね。ここからは主にドブロブニク旅行のモデルコース [クロアチア] All Aboutを頼りにしました。

写真右に見えるのはオノフリオの噴水です。1438年に建てられました。12km先から水路がひかれています。飲料水を汲めるので、旅行中はお世話になることが多いです。

ピレ門前からルジャ広場まで続くプラツァ通りです。もともとは水路でした。7世紀初頭、ローマ帝国が崩壊し、逃れてきたローマ人が写真右側 (南側、海側) に住み始めました。後から、スラブ人がやってきて、写真左側 (北側、山側) に住み始めました。



街壁を登ることに。100Knでした。チケットは街壁へ上がる階段の入り口を入ったところにあるオフィスボックスで買えます。


この瓦礫は紛争の後だろうか。1970年代の早い時期から、世界遺産の旧市街を戦争から避けるため、非武装化が進められていましたが、1991年の独立宣言後、旧ユーゴスラビア人民軍に残っていたセルビア・モンテネグロによって攻撃されました。



どうやって干したのだろう。


サッカーみたいなスポーツ。


 アドリア海の真珠と言われる城塞都市、ドゥブロヴニク。写真右手に城壁が見えます。
 一周するのに一時間半かかりました。途中で降りることもトイレに行くこともできない一方通行です。街壁を昇り降りできるポイントは、ピレ門前と他に2箇所ほどありました。山側から旧市街とアドリア海を望めます。ピレ門側から登ると、一周しないと山側に行けません。山側だけでいいという人は、ピレモンと反対側の門プロチェ門のあたりから登り、山側を半周して降りるのが効率的です。

 翌日には隣国モンテネグロのコトルを日帰り旅行 (excursion) する計画でした。町には旅行エージェントが多く、値段はバラバラでした。ピレ門入って3分ほど歩いた右手にあるこちらは、250Knで量子的な価格でした。
 僕は、翌日の旅行の予約ができるか心配で、旧市街に着いてすぐ、ピレ門外側にある旅行代理店で290Knで契約してしまってました。差額800円ぐらい。仕方ない。

お腹もすいてきた。旧市街は高いと聞いていたので、ピレ門前のレストランにきた。








地元のワインとćevapčići (チェパブティティ)。クロアチア語で「小さなケバブ」という意味らしい。ワインと合わせて149Kn。

SOBE というのは、旅行者向けに部屋の一室を貸す民宿のこと。宿泊場所が決まっていなかったので、いくつか見てまわったが、どこもたいてい一泊 800Kn (14,000円) だと言われたので、諦めた。この時期は高いらしい。数人で泊まれば安いのかもしれない。


 マラ・ブラーチャ薬局。ヨーロッパで三番目に古く1317年より続く。ピレ門前の修道院の右 (ルジャ広場側) にある道に入るとあり、修道院に併設されている。今回の旅行ではタイミングが悪く、土日のどちらも営業時間に来ることができなかった。
 営業時間:月〜金曜日7:00-19:30、土曜日:7:30-15:00

10Knで買った。柑橘系の味がした。このペットボトルは役に立つ。噴水の水を詰めて持ち運べるのだ。


スポンザ宮殿。16世紀にゴシック・ルネサンス様式で建てられた。

時計塔にあるブロンズ製の鐘は今でも使われている。

スポンザ宮殿の中。
FALLERE NOSTRA VETANT; ET FALLI PONDERE: MEQVE PONDERC CVM MERCES PONDERAT IPSE DEUS(ここにある錘は、だまされない。私が商品の重さを測る時、神様も私を測るだから。
と書いてあるのが見えるかな (スポンザ宮殿)。
総督邸。ドゥブロヴニク共和国の行政当局であった。現在では文化・歴史的な博物館として使われている。この日の翌日にはクラシック音楽のコンサートが催されていた(後述)。

大聖堂。聖母被昇天大聖堂とも。ティツィアーノの『聖母被昇天』が展示されているらしい。Wikipediaのティツィアーノの項目には、ヴェネツィアにあるサンタ・マリア・グロリオーザ・デイ・フラーリ聖堂に依頼され、制作し、展示されているものしか記載がない。どちらが先だったのだろうか。

総督邸を右手に。きれいな町並みだ。

途中、レストラン客引きのお姉さんと話したら、「日本人にしては珍しくOpenだね!」と言われた。ここらに来る日本人はガイドに「治安悪いしスリ注意」と散々言われているからだろうと話した。しかし、お姉さん曰く、ドゥブロヴニクはとても治安がいいところで、「先日、財布が道路に落ちてたのを観察してたけど、五分ほど経っても誰も拾わなかったわ」と訴えるように説いていた。


旧港。


プロチェ門。


高すぎて降りられないにゃ。
 ここで本を読んで時間をつぶした。




AllAboutに載っていたLokanda Peskarija (Restaurant Lokanda Peskarija - Dubrovnik Old Town) にやってきた。


英語

フランス語

日本語

アルコール



マリネとワインいただきました。AllAboutには「熱々の鍋に入ったシーフード」と書いてあるけど、それは2人前からしか頼めないやつっぽい。たしかに、それを頼んでる人は多かった。ハウスワインもマリネも酸っぱくて大変だった。

マリネ+ハウスワイン+チップ(10Kn)で合計150 Kn


夜の旧市街

若者とクラブ音楽でごった返す脇道。

2時には全てのお店が営業を終える。法律でそう決まっているのだ。通りすがりのイタリア人に聞くと、みんなクラブに移動するらしい。

プロチェ門のある壁の中にはクラブがある。Revelin Culture Clubだ。外まで重低音が響いていた。ビール33Knだった。お釣りは基本的に出さないのか、50Kn出すと、すごく困ってたが、何て言ってるかわからなかった。お釣りを出すのがとても大変そうだった。他の人はカードで払ってるのが多かった。





先ほどのイタリア人と再開した。左: イタリア人の彼女 (ローマ出身); 左から二番目: イタリア人(ミラノ出身); 右: イタリア人の妹. 撮影者はその妹の彼氏らしかった。みんな仲いいな。陽気だった。

クラブに疲れて5時ぐらいに出た。街に人はいない。

にゃんこ。毛を逆立ててものすごく威嚇している。何が見えるのか。

白猫がやってきた。

仲良しになってた。

レストランのテラス屋根に仔猫がいた。

猫と一緒に影も動く。

影が見えるから、どこにいるかわかるよ。

下を除いて僕がいることを確認してくる。

総督邸前にも猫が。やはり、目線の先には猫がいた。猫の社会も大変だ。


朝の旧港。

朝7:25になった。昨日予約した、モンテネグロ日帰り旅行の集合時間だ。アドリア海を右手に進む。



記事が長くなったのでこのへんで。

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