書評: François Rabelais(1534) "La vie très horrifique du grand Gargantua, père de Pantagruel" (宮下志朗訳『ガルガンチュア物語』, 筑摩書房)

8月16日
ラブレーの『ガルガンチュア物語』を読んだ。

カバンにオリーブオイルの汚れが残っていたらしく、本が悲惨な様相を呈してしまった。本文は約400ページほど。


訳者について

訳者は、宮下志朗。東京大学の教授。ラブレーといえば、20世紀に活躍したフランス文学者、渡辺一夫の訳が有名だ。彼は旧制高等学校や東京帝国大学などで教鞭をとり、三島由紀夫に序文を頼まれることもあり、ラブレーの難解な「ガルガンチュア物語」を長年かけて翻訳・刊行させたことで有名だ。そして、本書の訳者は、その渡辺一夫の教え子、二ノ宮敬に師事していたらしい。つまり、孫弟子だ。フランス語選択の友人が皆文句ばかり言っていた、東京大学のフランス語教科書 <<Promenades―En France et ailleurs>> の編集代表でもあった。ここで弁解しておくと、フランス語のみならず、ドイツ語選択、中国語選択であっても、みな教科書に文句は言っていた。そういうものなのだ。

ラブレーと人文主義について


ラブレーは、1483年頃、フランスのトゥーレーヌ地方シノンに生まれたとらしい。というのも、なにしろ、当時の戸籍抄本や出生手続きの記録、墓などすら残っていないのだから、これは後年のラブレー学者が書簡や当時の事件、作中の似た箇所などをもとにして推測したものだ。ラブレーは弁護士の家に生まれた。そして、1520年にピュイ=サン=マルタン修道院の修道士を務めながら、ギリシャ語を学んだ。恐らく不惑の歳も超えた頃、医学の勉強を始め、30年秋、モンブリエ大学医学部に登録。32年秋にリヨン市立病院に勤務。当時、医師はラブレー含めて二人しかおらず、150人以上の患者を、午前午後の二回の往診で診ていたそうだ。当時、知的意欲に燃えたラブレーはギリシャ語を学ぶことは果敢な挑戦だったらしい。宮下の解説によれば、

ところがピュイ=サン=マルタン修道院は、フランチェスコ会でも、「厳修会派 (オブセルヴァンス)」といって、ドンス・スコトゥスや聖ボナウェントゥーラの著作を指針として、神学の勉強に身を捧げることを要求する会派に所属していたから、古典ギリシア語の学習に対しては、むしろ否定的なのであった。カトリック教会が典拠とする「ウルガタ版」、つまりラテン語訳聖書の権威を揺るがしかねないではないか。
この頃、フランスでは、ユマニスム (人文主義) と結びついた福音主義運動が盛んとなり、当初は王権も好意的な反応を示していた。ところが、パリ大学神学部 (通称ソルボンヌ) はこうした動きに警戒を強めて、ギリシア語・ヘブライ語から訳した聖書の出版を禁止するなど、新旧の対立は激化していた。ギリシア語とは、異端思想の源泉ともなりうる危険な言語なのであった。こうした時代の流れのなかで、ラブレーとアミーは、所持するギリシア語書籍を没収されてしまうのだ。
といった時代背景がある。知的意欲に燃え、人文主義のエラスムスと親しくしていた彼は、教会の権威に反対していたのだろう。本書も、教会を風刺する箇所が多い。ラブレーは自身の危険を避けるためにも、また当時の流行もあり、『第二之書』と『第一之書』はアルコフリバス・ナジエ(Alcofribas Nasier)という、自身の名前 François Rabelaisのアナグラムで出版していた。改訂版ではラブレーは「ソルボンヌ」を「ソフィスト」に直すなどの配慮をしていた。そして、出版当時は教会の禁書目録にも載っていた。

本書について

さて、本書だが、これはラブレーが16世紀前半に出版した『ガルガンチュアとパンタグリュエル』シリーズの第一巻目にあたる。このシリーズは、

『パンタグリュエル物語』 (第二之書)
『ガルガンチュア物語』 (第一之書 )
『第三之書』
『第四之書』

という順番で執筆、出版されている。『第二之書』が最初に出版、次に『第一之書』が1534年秋か1535年春頃に出版された。1532年頃(?)に著者不明の『ガルガンチュア年代記』という小冊子が流行した。その小冊子の内容は、宮下によれば、
グラングジエとガルメルの息子、ガルガンチュアが魔術師メルランの雲に乗ってイギリスに渡り、アーサー王に仕えて敵を打ち破るという、むちゃくちゃなストーリーで、文学的な価値は、正直なところ疑わしい。
というものだった。ラブレーは、その続編のような位置づけで 、ガルガンチュアの息子パンタグリュエルを設定し、パンタグリュエルの物語を書いた。その後、ついに父親的な作品であるガルガンチュア物語の上書きに筆をとったそうだ。なので、ラブレーの『ガルガンチュア物語』は、当時流行していた騎士道物語に乗っかっただけに過ぎないとも言うレビューをしている人も見たことがあるが、400ページを越える本書は、もとになった小冊子に大きく肉付きがなされている。

ストーリーは、巨人ガルガンチュアが耳から生まれ、フランス文学と聞くと、かしこまってしまうかもしれない。しかし、本書は実にクソみたいな内容だ。おしっこ洪水、うんちの拭き方の発案、たまきんカタログなど、クレヨンしんちゃんも驚くほど下品で幼稚な言葉に溢れる。まじめに読み下そうとするのが阿呆かと思うほど荒唐無稽だ。

充実した注について

もしフランス語の原書で読んだら、本当にくだらなくてバカみたいな気分になったかもしれない。しかし、訳者の率直な注が充実しており、しかも物語の進行の邪魔にならない。


  • ギリシャ語、ラテン語の原文の意味
  • フランス語としての初出の箇所
  • 当代と当時のフランス語の違いによる箇所
  • 訳の難しいダブルミーニング
  • 翻訳困難・意味不明な箇所の指摘
  • 当時現実に起こった事件や出版れた書物との関連
  • 修辞学の「練習弁論(デクラマティオ)」の指摘
  • エラスムスによる影響の指摘
  • 中世の歴史
  • 聖書との関連
  • ラブレーの不注意によるかもしれない物語の矛盾の指摘同時代の詩人の拝借
  • ラブレー地元との関連
  • 実際の同名の町の大きさ
  • ブリューゲルにも描かれたテーマの指摘


など、非常に造詣が深くて参考になり、この注のおかげで、当時の時代背景についても理解を深めて読むことができて感謝した。ギリシャ語もラテン語も人文主義にも医学にも通じていたラブレーを読むには、ラブレー以上の学識が求められるということか。戦闘シーンでは、驚くほど専門的な解剖学用語、骨の名称などが散りばめられている。さすがラブレーは医師であっただけある。さて、以下に印象的な訳や注の数カ所を列挙した。



ガルガンチュア命名の由来。生まれた途端に「のみたいよー、のみたいよー、のみたいよ!」という息子に

父親は、「おまえのはでかいんだなあ(ク・グラン・チュ・ア)」と大声で言った。いや、ここで補足しておくならば、「のど(グジェ)」がということである。

ただし、この語は『「ガルガンチュア大年代記』からの借用だ。

脱糞のロンドー。渡辺一夫は漢文に、宮下志郎は古文に訳した。 (P.118)


ブルターニュが葡萄栽培の北限を超えていることの指摘 (P.121)。

本書中の名言「紙などで、ばっちいおけつをふいたとて、いつもふぐりに、かすぞ残れる。」 (P.116)


おしっこ洪水と、聖書の数の数え方のもじった箇所の指摘 (P.140-141)

感想

本書は、充実の注のおかげもあり、教会と人文主義の対立を超えて、ラブレーの前口上にある、「いつだって笑い声をたやさずに、だれとでも酒を飲みかわし、ものごとを茶化してばかり」のソクラテスさんのように人生を楽しもうと言うメッセージを受け取った。

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