2015年9月19-21日 コソボとマケドニア旅行

バルカン半島のコソボとマケドニアへ行ってきました。コソボは10年前に戦争していたので (コソボ紛争), あまりいいイメージもなく、周囲の人にもとても注意され、旅をすすめてもらえなかったのですが、予想とは違ってとても温和な町でした。



旅程
2015年9月19日 夕方にコソボの首都プリシュティナに到着した。コソボのホステルで宿泊。
2015年9月20日 朝-昼過ぎをマケドニアの首都スコピエで過ごした。夕方にコソボへ戻り、少し散歩し昨日と同じホステルで宿泊。
2015年9月21日 朝、飛行機に乗ってジュネーヴへ帰った。


19日


プリシュティナ空港から街の中心には地下鉄もバスもトラムもないっぽい。もしかしたら、バスはあるのかもしれないけど、よくわからない。

 空港で青年に25EURでどうだと声かけられた。ホステルの詳細書かれたプリントを見せると、よくわからないらしく、上司か雇い人と思われるおじさんを呼んで相談し始めた。住所がよくわからないらしく、ホステルに電話していた。おじさんに料金を聞くと、15EURだった。あの少年、ぼったくろうとしていたのか。後にわかったが、タクシー会社では空港から街の中心まで20-22EURで運転しているらしい。乗ったタクシーには料金メーターがなかった。一般人が勝手にやっていて、適当なのかな。

 ホステルに着いた。ゲスト ハウス ベラニア (コソボ プリシュティナ) - Booking.comホステルのオーナーは親切なおじいちゃんだった。英語を話すので助かる。RECEPTIONが24時間あいているのが、ここにした決めてだった。行きの飛行機が遅れたり、空港から迷ってしまってチェックインが遅れると、レセプションが開いていなかったり、レイト・チェックインの手数料とられるところもある。ただし、このホステル、自分は最上階の部屋だったが、部屋の中ではWIFIが全然つながらない。


手書きの部屋番号。

町の中心まで行こうかと思ったけど、暗すぎて怖くて諦めた。着いたばかりなので、まだ治安や国民性がどんなものかわからない。

近くのピッツェリアに行った。

 注文したらコネ始めた。ピザを焼いている間、少し話した。英語が堪能でフレンドリーだった。治安はよいらしい。夜でも出歩いて問題なく、旅行者が事件にあったとは聞いたことがないと言っていた。また、日本人を見るのは初めてだとも言っていた。二年前にイギリスと日本人のハーフを見ただけだと。
 また、時計なんて見てないらしい。だいたい11時半にお店はしめようかな、と言っていた。


飲み物はビールやコーラなどが売っていた。メニューのピザは3-5EURだった。ピザとコーラは世界のどこに行ってもあるような気がする。ピザを知らない国、コーラを知らない国はどちらが多いのだろう。
 ピザを食べながら、印刷してきた資料140ページを読み進めた。コソボ、プリシュティナ、マケドニア、スコピエのWikipedia記事や、外務省の資料、地球の歩き方のページ、観光情報、旅行者のブログ記事などだ。前もって読んでおけばいいのかもしれないが、研究室にいる間はそんな
時間をとるきにならない。


20日


翌朝、バスステーションからマケドニアの首都スコピエへ。バスステーションの場所よくわからず、バス逃したくなくてめちゃくちゃ走った。途中でタクシーに声かけられて、1ユーロ渡して少し乗った。時刻表は、記事の末尾に挙げたブログの時刻表を参考にしていたが、着いてみると、時刻表が変わっていた。走った意味なく、45分ほどバスの出発まで待った。


スコピエへ行くバス。一日13本。時刻、会社名、乗り場の番号が書いてある。5.5EUR, 約2.5時間。


バスステーションは人が多くない。お水1.5Lは0.5EUR。

8:30出発。マケドニアに向かって走るよ。



山道に入った。


9:40 マケドニアのゲート。コソボのゲートは撮り忘れた。このときもらったマケドニアのスタンプ、日付が9月21日になっていた。20日なのに。ドジなのかな。




10:30 スコピエのバス停に着くと、タクシー乗らないかとの勧誘がすごかった。ATMで引き落とさないとマケドニアン・デナールがないと言うと、ATMまでついてきた。200DENでスタラ・チャルシヤというバザールまで乗った。1MKD = 2.2 JPYぐらい。だいたい2倍すれば日本円だ。


日曜日なので誰もいません。お店もあいてません。



ベジスタン。15世紀にたてられ、1689年に火事によって損壊した後に復興。1899年に修復。屋根付きの市場。

人も何もなくてよくわからないな。

サラエボみたいな食器だ。カフェばかりで人々もエスプレッソ飲んでるし。バザールもあるし、モスクもたくさんあるのも、サラエボみたいだ。

案内の通りに行ってみたけどよくわからず何も見つけられなかった。

 チフテ。ハマム (二重風呂) らしい。中に入れないので、ただの壁です。
バザールを出ると、新しいの町並みになった。もの売る青年に声かけられた。日本からだと言うと、珍しいと驚いてた。そして中国人と区別がつかないと笑っていた。その青年、マケドニア人かと思ったら違った。アルバニア人だった。なんだ、お前たちも区別つかないぞ。区別がつかないくせに戦争とかするのか。と思ったが、日本も日中戦争とかしていたのだった。

時計塔が見えますが、遠いので行きません。

水飲み場、低い。腰によくない。

スタラ・チャルシヤの入り口。

バザールはカフェばかりで食べるところが少ない。ふつうのレストラン入ったけど、店員がやってこないで無視されたので、退店した。観光客向けっぽいレストランを見つけたので、そこで食べることにした。

マケドニアのワインらしい。ラベルには、たしかにマケドニアという文字もあったが、BEOGRADともあった。セルビアの会社なのだろうか。ALEXANDRIAというのは、ぶどうの品種なのか、アレクサンドロス大王にちなんで名づけたのか。これ赤ワインだから、マスカットなわけないか。

美しい赤紫色。コルクではなく、ひねって開けるタイプだ。Alc.12.5%. 果実香。個性が弱い。シャープな舌触りだ。後味が苦く、舌の上にはタンニンしかわからない。アルコールと渋い香りが鼻をぬけていく。

白いチーズは酸味が強い。フォークあてると、すぐ崩れる。山羊チーズのような強烈な風味がしたが、若干フルーティーでもあった。

黄色いチーズは、歯ごたえがあり、ナイフとフォークで食べた。とてもおいしい。深みがある。ただし、しょっぱい。

パンが勝手に出てきた。よくある無料のウェルカムメニューかと思ったが、生産時に料金 10DENかかっていたと知る。3つ前の写真にも、頼んでないのに運ばれてきた水がうつっているが、あれだけで50DDENだった。そんなの頼んでないから、無料かと思った。お通しみたいだ。

他のレストランが140DENでケバブなど出しているのに、ここは320とかもしていた。高い。チョイスちょっとミスったかもしれない。

子どもがお菓子を売り歩いてた。

ミックスグリル320DEN

ティー40DEN。ハーブティーにお砂糖が合うのを初めて知った。


何でこんなところで760も使ってしまったのか。800払ったら、なぜかお釣りが60きた。マケドニア人は引き算の繰り下がりができない。それにしても、ランチに1500円も使うなんて想定外だ。

要塞も見どころだけど、もうセルビアで要塞行って飽きたので、行きません。


銅像ばかりだ。

 歩いてバスステーションまで向かっていたが、道がわからなかった。通行人に聞いても、三者が三社それぞれ違うことを言う。左、まっすぐ、右という具合に。マケドニア人は方向音痴か。恐らく正しいであろう平均的な答えを知るために、もう、ひたすら通行人に聞いた。

少年と子犬がおいかけっこしてた。

写真右側に馬がいる。じっとして動かなかった。何しているのだろう。


ALBUSという会社、一日に4本しかスコピエ-プリシュティナのバスを出していない。他の会社のバスがこのバスステーションにあるのかは謎だった。この頃2時だったので、15時のバスに乗ることにした。320DEN。

駅前のアイスクリーム。2個のっけて40DEN。マケドニアは暑い。

セルビアン・ディナー20と、ボスニア・ヘルツェゴビナ兌換マルクの10, 10, 10, 20をどうしようか。ユーロに両替したいこれらが両変えできる地域は基本的にバルカン半島にしかない。マケドニアで両替したら、与えたお金 -> 現地通貨 -> ユーロという、現地通貨を挟むのではないかと思い、それだと手数料が高くて、それは損だと思った。

このバスステーションのATMにキャッシュカード忘れた。不幸だ。お金が出てきたあとに、「レシートを発行するか、しないか」ボタンが表示され、押さないとカードが出てこない。ふつう、ATMは撮り忘れ防止のため、お金とかーどが同時に出てくるものなのに。

スコピエ- プリシュティナ

マケドニアの国境。出国です。入国スタンプはあっても出国スタンプはないのがマケドニア。


20秒ほど走るとコソボの国境に到着。入国です。 ちゃんと出入りでスタンプもらえた。



コソボのバスステーションから街の中心までの道がとてもわかりにくい。途中でスーパーがあったので、コソボのワインを買った。ちょうどほしかったので、歯ブラシと歯磨き粉も買った。店の前に母親と買い物にきていた女児、こちらをじろじろ見てきた。微笑んだら、照れて恥ずかしそうに笑って、母親に何か言っていた。

 世界遺産のグラチャニツァ修道院に行きたかったけど、みな言うことが違う。バスステーションでは、

「市内の4番バスを使え」

と言われ、街の人は

「4番バスはグラチャニツァに行かない。10番バスに乗れ」

と言う。写真のバス停を案内された。バス停らしいものはないが、道幅が広くなっている。バスが停車できるようにだ。道路にもBUSと書かれてあった。30分ほど待って10番バスが来たので、運転手にグラチャニツァに行くかと聞くと、行かないと言う。一緒にバスを待っていた人に事情を話すと、

「10番バスはグラチャニツァの近くまで行く。途中で左に曲がってしまうが、君はそこで降りてまっすぐ歩けば、15分ぐらい歩くと右手に修道院が見える。本当はバスステーションからグラチャニツァの目の前まで行くバスがあるから、それを使った方がいい」

と言われた。みんな言うことが違いすぎる。日曜日なのでバスの本数が少ないらしく、また30分ほど待って10番バスに乗った。バスを待ちながら、国際電話でキャッシュカードの利用停止・再発行手続きを済ませた。新生銀行は海外にカード送ってくれないらしい。不便。
 また、コソボはほとんどがアルバニア人、そしてコソボ紛争はアルバニア人が多くなってしまったコソボをセルビア、というよりはむしろ旧ユーゴから独立させるためのものだった。修道院はコソボの中のセルビア人が多く住む町にある。標識もセルビア語、ATMでもユーロではなくセルビアン・ディナーが出てくるらしい。なので、道行く人にグラチャニツァにはどう行くのかとはとても聞きづらかった。

バスは0.5EURを車内で支払う仕組みだ。バスの中の人に聞いたところ、

バス停を降りたら、まっすぐ歩けば5-10分ほどで右手に修道院が見えると言われた。今度は左手か。しかも、プリシュティナに戻る終バスは8時半ごろ。その一つ前は8時ごろ。だから気をつけたまえ」

とのことだった。ようやくバス停に降りるころには日が暮れ、もう7時25分ごろだった。は写真でトラックの右側の暗い部分を歩き進んだ。街灯もろくになく、行き交う車の明かりを頼りに歩いた。道路は雨上がりでグシャグシャだし、野犬まで歩いてる。道幅が余裕なく、歩行者も少なく、常に車にひかれそう。戻りのバスも二本しか残されていない。引き返そうかと思いつつも、すぐ着くと聞いていたのでがんばって急いだ。しかし、15分走ったり歩いたりしても見つからない。通行人に聞くと、あと15分ほど歩くと左手に見えると言われたが、もう遅いので中には入れないんじゃないか、とのこと。日が暮れて真っ暗だし、終バスの一本前に乗る努力はしたかったので、諦めて引き返すことにした。バスは8時10分ごろに来た。写真は、バスを待っているときに撮ったものだ。予定では8時5分ごろだったらしく、5分の遅れだ。ここは曲がり角なので、立つ位置を間違えると、やって来るバスから見えなくなり、バスが通りすぎてしまうだろうと思われる。注意されたい。ちなみに、写真の明るい部分は、野菜の卸売のようなところだ。業者がトラックで買いに来ていた。

バスの中でも人に聞きながら、何とかしてバスはNEWBIES BORNに着いた。独立記念のモニュメントがあるところだ。街の中心にあたるので、このへんを適当に歩いて何か食べて帰るつもりだった。

しかし、何もない。レストランはどこもカードが使えない。ぼくはキャッシュカードがないので、現金は控えたかった。ホステルに戻ることにした。食べ物は、途中でスーパーで買えばいい。スーパーならカードが使える。

ホステルまでの道も並大抵ではない。みな違うことを言う。道がとても入り組んで複雑で、説明が容易ではないらしい。ホステルのオーナーはNEW BORNからホステルまで10分だと言っていたが、大嘘だ、30分見積もったらいい。

スイス何とかホテルは親切だった。割りと丁寧に教えてくれた。坂を100mのぼって、右に200m歩いたら、左に行けばいいと。。坂を100mのぼったところで、見覚えのある道だった。朝バスステーションに行くときに通った道に出くわした。

そこで何度か人に聞くと、再び見覚えのある道を見た。アップルマークをかかげたお店だ。これは朝も通った。ところで、スイス何とかホテルとかいう、いかにも高級そうなホテルのおじさん、右に200は間違っていたよ。左に50mが正しかったよ。右に200mいったら、むしろどんどん離れてしまうよ。

スープのもと。買ったものの、ホステルの衛生管理が疑問に思ったので、夕飯にはせず、スイスに持ち帰った。

フェタチーズ1kgが3.34EURって安くないですか。マケドニアはさんでギリシャが近いからかな。

これだけ買った。ヨーグルト、RED FRUITS、スープのもと、くるみ。ホステルの部屋 (最上階) はWIFIがあまりに弱いので、一階(ゼロ階)にいたら、アルバニア人女性の二人と話した。少しだけアルバニア語がわかるようになった。

コソボワイン。


STONE CASTLE Pinot Noir 2011. Alc.13%. Pristineより南西のRahovecで醸造、瓶詰されている。コソボワインなんて、日本では幻のワインの一つだろう。ストロベリーのような果実香。ドライらしく、とても強い収斂性があった。口内がしびれそうだ。まろやかな飲み心地で、渋い余韻が残る。ホステルのグラスを使う気にならなかったので、ボトルから直接飲んだ。


21日


 朝、7時すぎにタクシーの迎えが来ていた。二日前に空港から来るときに乗ったタクシーだ。迎えに来てもらうことになっていた。20分ほど走って空港に到着した。道路を走るものは少なく、快適なドライブだった。

空港にはお祈りの部屋があった。


マケドニアでも、コソボでも、とにかく奇異な目で見られた。わざわざ目の前から振り返って顔を観察されることまであった。「日本人なんて初めて見た。」、「日本人がこんなところで何をしているんだ。観光っていったって、何かおもしろいものあったかい」などと言われた。

コソボ

タクシー(空港-ホステル) 15EUR
ホステル 20EUR
ピザ、ビール 4.5EUR
タクシー(ホステル-空港) 15EUR
スコピエまでのバス 5.5EUR
食品 10EUR
バス 行き 0.5EUR
バス 帰り 0.5EUR

合計 71EUR (9546円, 134.5JPY/MKD, September 22, 2015)

マケドニア

タクシー200MKD
ランチ 740MKD
コソボまでのバス 320MKD
アイス 40MKD

合計 1300MKD (2843円, 2.19JPY/MKD, September 22, 2015)

今回の旅行はコソボとマケドニアあわせて1万2千円ほどだった。




今夏、多くのバルカン半島の国々をまわった。

クロアチア
モンテネグロ
セルビア
ボスニア・ヘルツェゴビナ
コソボ
マケドニア

 飛行機を予約した時点では、自分がこれほど隣接した国々へ行く航空券を予約したことすら知らなかった。自分としては、ジュネーヴからeasyJetで行ける未踏の国々への航空券をとったつもりだった。自分は地理には明るくなく、バルカン半島という名前すら聞いたことがある程度だった。ヨーロッパの国々は日本に比べると小さい。馴染み深いメルカトル図法は面積を正しく反映していない。高緯度ほど面積が大きくなる。ヨーロッパの国々は互いに行き来しやすい距離にあるものが多く、セルビアのベオグラードからは、ハンガリーのブダペスト、マケドニアのスコピエ、クロアチアのザグレブなどにバスが出ていた。

 それぞれの国の事情、政治、歴史、文化などに詳しくなった。喧嘩の仲裁にアメリカが出てくると国が崩壊するのもわかった。

 セルビアがコソボを自国の自治州だと言いたい気持ちもわかるし、コソボが独立国だと言う気持ちもわかる。12-13世紀ごろ、セルビアが誕生したのはコソボだし、オスマン・トルコ帝国とはセルビアはコソボを守るために死闘した (コソボの闘い)。しかし、オスマン・トルコ帝国に支配され、アルバニア人が流れてきた。そしてアルバニア人はずっと抑圧されてきた。不満がとてもたまっていた。そしてアルバニア人の過激派 (テロリスト) が暴れだし、セルビア人を殺すようになった。

 セルビア大統領も黙っていられなくなった。大統領は二択の間でジレンマを抱えた。アルバニア人の過激派を退治するが、仲の悪い英米から怒られる。もう一つは、アルバニア人を放置すること。そして、前者を選択した。NATOはセルビアの首脳らを虐殺事件の戦争犯罪者とした。受諾困難な要求をつきつけ、交渉が決裂すると、セルビアに空爆を開始した。コソボの統治権がほしかったらしい。戦争が長引くと、アメリカも相当エグいことをしていた。中国大使館や列車を誤爆した。また、発電所、国営放送の塔、通信施設、工場、電力発電所、橋なども破壊した。ジュネーヴ条約に違反すると言われても、アメリカはお構いなしだ。

 マケドニアの事情もおもしろい。この国は、ギリシャのせいでNATOにもEUにも入れない。もともと、マケドニアという地域があり、それを第二次バルカン戦争でブルガリア、ギリシャ、セルビアで分割した。セルビアは後に旧ユーゴになるが、旧ユーゴが崩壊すると、旧ユーゴスラビア連邦セルビア領マケドニアはマケドニア共和国をユーゴ内に作った。

 そして、旧ユーゴ崩壊後、独立した。マケドニア共和国を名乗った。ギリシャは、自国の北部にあるマケドニア地域 (実際、全体のマケドニア地域の半分近くはギリシャだ) を侵略されないかとひやひやし、国名を変えろと抗議した。

 そこで、マケドニアは、マケドニア旧ユーゴスラビア共和国という名で国連に加盟した。ギリシャは怒って経済制裁を始めた。マケドニアの北部セルビアはボロボロだし、東のブルガリア、西のアルバニアは冷戦終結によって混乱していた。また、アルバニアはそのすぐ二年後に全国規模のねずみ講のせいで暴動が起きた。海のないマケドニアはたまらず、憲法や国旗を変えて、ギリシャ領土を侵略する意思がないことも説明した。自国の国名は自国が決める権利があるとも主張した。

 そして2008年、ブカレストにてクロアチアとアルバニアはNATOに加盟したが、マケドニアのみギリシャの拒否権で加盟できなかった。マケドニア側は、マケドニアは形容詞で「マケドニアの」、「マケドニア人の」を意味するとしたが、ギリシャは譲歩しなかった。マケドニア人は失望した。マケドニアでは、「ブカレスト」は「ひどい仕打ち」と同義語になった。マケドニアは国際司法裁判所に提訴した。

 マケドニア首相は「2014年頃にはEU入りたいね」と話していたが、2008年後半に欧州連合議長国となったフランスのサルコジ大統領 (英語だとサーコージーと言う) が、「マケドニアの加盟には克明問題の解決が前提だ」と言った。マケドニア人は失望した。

 ブルガリアは、マケドニアの独立を一番に承認したが、マケドニア語はブルガリア語の方言のようなもので、マケドニア人はブルガリア人だと言い、独自の文化や起源を繰り返し否定している。両国は微妙な関係だ。

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