8/28-31, 2015 セルビア、ボスニア・ヘルツェゴビナ --4日目 ベオグラード-- Serbia and Bosnia and Herzegovina --4th day Belgrade--

4日目 ベオグラード。この日は特に予定がなかった。夜はジュネーヴへ帰る予定なので、あまり遠でもしたくなかった。



日程
  • 8/28 ベオグラード(セルビア)、夜行バスでサラエボに移動
  • 8/29 サラエボを観光。モスタルまで日帰り観光。いずれもボスニア・ヘルツェゴビナ。夜行バスでノヴィ・サド (セルビア)へ。
  • 8/30 午前中はノヴィ・サドを観光。午後はベオグラードのニコラ・テスラ博物館。
  • 8/31 ベオグラードを観光して帰宅。


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ホステルの人に、二次大戦中にナチスと戦って埋葬された人々のモニュメントがあると聞いたので、そこへ行こうと思った。


Trig Republic。この近くで無料のWalking Tourが始まる。付近のTourist Information Centerで尋ねると、11時と16時にあるらしい。このとき既に12時近い。ちょっと時間が合わない。

街頭に飾られたお花がお水飲んでいた。

人々がタンクのお水を飲んでいた。 酷暑だった。38度ほどだ。

あまりに遠いのでバスに乗ったら、モニュメントなど通りすぎ、ショッピングセンターに着いた。





退屈したのでソファ座って本読んでいた。太宰治『斜陽』, 新潮社です。

もうバスは使わず徒歩で戻りながらモニュメントを探すことにしたが、見つからなかった。Google Mapでピンを立てておいたものの、スマホが勝手に再起動してしまい、ピンが消えたので探せなかった。

橋を歩いて渡った。酷暑と空腹で倒れそうだった。

この橋が嫌で行きはバス乗ったんだよな。

町中に平気でこんなボロビルがある。空爆うけた残骸だろうか。

チェバブチチ食べた。ヨーグルトとサラダもはさんだ。食べながら斜陽も読み終わった。

16時頃、ウォーキングツアーの人たちだ。

難民キャンプかな。セルビアは多民族国家なのに、ここの人種は一緒に見えた。そういえば、1日目に要塞までの道を尋ねたおばあさん、シリアなどからの難民のためにご飯を作ってくると言っていた。

パン安いよね。450gで44円。

セルビアンディナーが余っていたので、買い物。

空港までのバスを待っていると、タクシー運転手が話しかけてきた。何語かもわからないでいたら、スマホで300という数字を見せてきた。バスで空港までは300Dinだ。それと同じ金額でどうかという交渉だ。自分の欠点だが、断るのが苦手なところがあり、試みにも乗ってしまった。メーターが上がっていくのを見て、遠回りされたり、違うところで降ろされたり、馬鹿高い金額を要求されたらどうしようなどと思った。数年前、ルーマニアの違法タクシーで惨殺された女子大生の件も思い出した。無事に空港に着くと、メーターの料金は1300Dinになっていたが、500Dinを渡すと200Dinのお釣りがきた。安心した。

中国語も韓国語もないのに日本語がある。

何でゲート通ってから荷物検査するんだ。これじゃあ、免税店で買ったお酒をここで没収する気だろうか。

使ったお金
ćevapčići 210
買い物 420
taxi 300
空港のSchweppes 180

合計 1,110 Din = 1.254円 (1.13JPY/RSD)

今回の旅で記したメモ。旅程や帳簿などが記してある。


歯ブラシを持ってこなかったせいで、三泊苦労しました。自分の口が臭いかもしれないと思うと、人に道を聞いたりすることもできなくて、人の前に立てなくなってきてしまいますな。

セルビアはまだしも、ボスニア・ヘルツェゴビナは外務省のハザードマップで十分注意。行ってみると、紛争の後もありましたが、今では沈静化していて、住民の表情も明るかったです。生きたくて一生懸命生きている人の顔をたくさん見ました。いったい何で日本人は毎日電車を止めているのかわからなくなりました。

セルビアもボスニア・ヘルツェゴビナも、肌の白い人や黒い人が仲良く暮らしていました。十年、二十前に民族浄化や紛争していたのが信じられない気持ちになりました。書籍『人は原子、世界は物理法則で動く 社会物理学で読み解く人間行動』には、経済や政治が不安定になると、自分たちと違うものに対して敵対心を強く抱くとか、そんな一般的な説が記されていました。ということは、どの民族も、いつ対立を作るかはわからないのです。実際、民族は常に、戦史から世界大戦を見ても、容易に滅ぼし合ってきました。今の平和も恒久のものだと思うのではなく、常に努力して継続していく必要があるのだろうと、感じました。

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