書評: レイチェル・カーソン(1962)『沈黙の春』(青樹簗一訳), 新潮社

アメリカの奥深くわけあいったところに、ある町があった。
という寓話調に始まる、誰もが知る古典。本書を読めば、DDT散布時の次のことがわかる。化学薬品がいかにして研究開発され、なぜ危険な化学薬品が生物の頭上にふりまかれたのか、学会がどのように抗議し、それを政府はどのように対処したのか、散布後は何が起こったのか。

小学校のころだったか、本書を知ったとき、このように思った。「危険な化学薬品を人の上に撒くなんて非道で、何で誰もそんなことがわからなかったのか。生態系でめぐりめぐることや、濃縮するなんてあたりまえじゃないか、と。」ついに本書を手に取った。当時の背景や恐ろしい結末を知り、ようやく理解できてきた。写真や出典がないのが残念だったが、おすすめしたい本だ。




化学薬品

DDTはダイオキシン類のことで、他の化学薬品とともに、第二次大戦中に開発された。もともとは人を殺す目的だったが、大戦が終わると防除目的に使われるようになった。
しかし、どんなに濃縮したところで、意味はなかった。自然や生き物の中に蓄積していく。川下に撒いたとしても、地下水で巡り巡って川上にいく。害虫を駆除したくて撒いたのに、害虫を捕食する我々の味方が薬品で絶滅してしまった。自然は絶妙な均衡を保っていた。人間は、自然をコントロールしようとしたが、人間自身も自然の一部に過ぎないことを忘れていた。外来生物を絶滅させるために軽飛行機を使って薬品を散布した土地では、瞬く間に病人が出て、川の魚は浮きあがり、小動物は絶滅し、養豚場の豚は死に、空から鳩が降ってきた。春が来ても静かになった。

第7章-第9章は圧巻であった。コガネムシをはじめとした外来生物を絶滅させるため、大量の化学薬品、むしろ化学兵器と呼ぶべきものが、州政府の主導で大規模に幾度も散布され、土地は壊滅的なダメージを受けた。住民の訴えや科学者の主張など聞き入れられなかった。そして、死の土地になると、簡単にはもとに戻らないのだった。

本書は主にアメリカでのことだが、日本もひとごとではなかった。敗戦後、発疹チフスの治療のため、駅改札でDDTの粉が通勤者、通学者にかけられたことがあった。

農薬と農業

解説には次の旨があった。
農薬、化学薬品によって食糧生産は拡大した。科学の発展なくしては、今の人口も支えることができない。人は昔から、酪農、農耕、牧畜などによって自然を操作してきた。化学薬品の散布は、人間が自然を操作する歴史の中で自然な延長線上にある。なので、一概に化学薬品は間違っているなどと安易に言えない。
人間は誕生以来、自然を操作してきたが、人間のエゴによって、どれだけ自然の均衡を崩してよいのか。人間都合な考え方だが、稲につく虫は害虫であり、害虫を捕食する虫は益虫だった。無論、それぞれ地球上では大事な役割を果たしており、生態系に欠くことができない。そして、地球上の人口を支えるためには、昔に戻った農作はできないが、どうしていけばよいのか。人間の生活と、生態系の維持というのは、なかなか相いれない問題で、人間は常にジレンマに挟まれてきたのだ。

未来を考えるための古典

本書を手に取るまでは、過去に過ぎ去った人間の失態の古典ととらえていた。しかし、本書にあるような問題は、今後も常に起こる可能性がある。より多くの収穫が求められるようになり、科学技術が発展していけば、何が起こるだろうか。既に遺伝子組み換えについては様々な議論がなされている。最近では、実験室で作られる培養肉がニュースになった。


このような食の技術も、第二のDDTかもしれないし、本当に救世主かもしれない。
また、最近では中国で環境汚染が進んでいる。


まるで公害に苦しんだ日本の後を追っているかのようだ。本書は、過去のものではない。本書は、人間の生活を考えさせられる大事な一冊である。科学技術を水準以上に発展させた人間はいつでも沈黙の春を迎えることができるのだ。

また、同様の書籍に「ローワン ジェイコブセン『ハチはなぜ大量死したのか』(中里京子訳, 2011), 文藝春秋」がある。邦題からは伝わらないが、原題は"Fruitless Fall" (実りない秋)であって、沈黙の春を意識したものだ。まだ読んでいないが、気になっている本だ。


参考
細胞から培養した人工牛肉で作ったハンバーグ、お味は? - WSJ

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