イスラエル旅行3-4日目 - 死海・エルサレム2015年11月1日-11月2日 - Jerusalem









2015年10月30日(金) 昼過ぎ テルアビブ空港着 日没から安息日が始まった
2015年10月31日(土) 日没に安息日終わり。電車でエルサレムへ向かった。
2015年11月1日(日) エルサレムを観光した。
2015年11月2日(月) 朝からテルアビブ空港へ移動した。

旅行中につけていた家計簿を帰宅後に紛失したので、どれも値段が不明。金を騙し取られて頭にきて捨てたのかもしれない。

1-2日目テルアビブはこちら。


11月1日
エルサレム旧市街近くの三ツ星ホテルの朝食。昨日のテルアビブにあるホステルのビュッフェといい、イスラエルのビュッフェに期待してはいけないこと。日本のビジネスホテルの方がずっと優秀だ。旅の楽しみの一つである食事、そのために朝食つきのホステル、ホテルを選んだのだが、質素なものだった。

体を洗ったりと、もたもたしていたら出発が11時ごろになった。ホテルの受付に地図をもらおうとしたら、旅程の相談にのってくれた。午後から死海と旧市街の観光なんて間に合わないなどと言われた。とりあえず、急いで死海へ行って、すぐに旧市街へ戻ることにした。

トラムにて。
街には銃を携えた軍人や警察があふれていた。むしろ、軍人と警察の区別がつかなかった。
11:30ごろ、バスに乗った。バスは片道39.5NIS、一時間以上かけて死海に着いた。死海にはいくつかのビーチがある。入場料を払うプライベートビーチも多いが、人の少ない公共ビーチもある。昨日のバーで知り合った日本人によれば、公共のビーチは、人がいなくて不安になるので初心者には向かないらしい。

13時ごろ、EIN GEDIビーチへ着いた。約90NISの入場料を払った。施設にはプールや浴場もある。そこから簡単なトラックに3分ほど乗ってビーチに着いた。







砂浜というより、岩だった。塩で白い。

塩が結晶化していた。

塩が付着して印象的だ。




砂浜に見えるが、岩だ。硬い。ビーサンなしで来たので、大変だった。


本当に硬い。デコボコしていて痛い。









死海は、すぐに浮いた。ふわふわと下から押されるようだった。容易に浮く。歩いていると足の裏が痛すぎるので、浅瀬でさっさと浮いておいた。むろん、浮いたまま浅いところに移動してしまうと、背中や腰を岩にこすって怪我するので注意。

浮いているとき海底を触ったら、指を切ってしまった。塩が染みてとんでもなかった。

水着はなかったので、シルキードライで浮いた。ありがとう、ユニクロ。
これは施設とビーチをつなぐトラックの待合所。







急いでビーチに来たので、タオルを借りられるのか、すぐ来るバスがないかの確認を怠ってしまった。いったんトラックで戻った。


バスは全然こないので、また死海に戻った。タオルは有料だった。








バスの時間は、WEBやEIN GEDIの施設によって14時32分とか42分とか、さまざまでハッキリしなかった。そして、バスは14時55分ごろにやって来た。







死海は陸地に囲まれているから湖ではないのかと、昨日、夜のバーでイスラエル人に聞いてみたが、塩っけがあるので海だとのこと。なるほど、湖か海かはその違いなのか。と思ってWikipediaを参照した。日本では淡水が湖。
日本において古くは「水海」(みずうみ)あるいは「淡海」(あわうみ)と呼ばれており、淡水からなる水域を表していた。例えば神西湖の古名は「神門水海」(かんどのみずうみ)、浜名湖(古くは淡水湖であった)の古名は「遠つ淡海」(とおつあわうみ)である。
しかし、曖昧だ。
ただ、淡水と海水が混じっている汽水湖があることや、十分に大きな湖だとのように見えることもあり、湖と海の概念の区分は必ずしも明確ではない。ドイツ語See には「湖」「海」の両方の意味があり、仏 mer・西 mar・伊 mare・独 Meer は「海」を意味するのに、同語源の蘭 meer が「湖」の意味でもある。






エルサレム旧市街に来た。声をかけてきたイスラエル人が、ガイドしてくれると言った。適正な価格で適正なビジネスならと思い、のってみた。結果的に5万円を騙し取られた。ぶち殺してやりたい。このことは別に怒りの記事を書いた。





聖墳墓教会。イエスの墓地だ。

ちょうどお祈りしてた。





金を騙し取られた疑いと、荘厳な雰囲気のせいでこの表情。




オリーブ山。旧約聖書では審判後、神が立ち死者がよみがえる場所。先日、自分で髪の毛切ったが、おかっぱっぽい。


ここはイエスが十字架をかついだ道 ヴィア・ドロローサ。昼なら十字架をかつぎ歩く修行僧が見られるらしい。

このとき、いた場所はイスラム地区だった。岩のドームに入ろうとすると、検問があり、「イスラム教徒か」とたずねられた。指定されたわずかな時間以外は、イスラム教徒以外入れないことになっていたのだ。
あたりで遊んでいた子どもに嘆きの壁の方向を聞き、350円ほどチップをわたした。もう5万円弱騙し取られたあとの貧しい自分は、素直にお金を要求してくる子どもには、その誠実さに寛大になった。

嘆きの壁と間違えて、壁の地下ツアーに参加した。約90NIS。英語のツアーはもうなく、フランス語のツアーしかないと言われ、参加してみた。

僕以外はアフリカ人ばかりだった。わずかな単語をまれに聞き取れたが、基本的に全く理解できなかったと言ってよい。











やっと嘆きの壁に着いた。

みな必死の思いで祈っていた。身体を周期的に機械的におじぎを繰り返す人、聖書をひたすら音読する人。

ここまで来て気がついたが、壁の付近は敬虔なユダヤ教徒しかいなかった。

観光客はこの柵の手前から見守っていた。

日もくれると、店も全てしまった。人もいない。

このあと、休憩中のタクシー運転手に、ことの次第を話すと、警察に行けと言われた。彼は親切な人らしく、旅行者からの感謝のメッセージやや、旅行者を家に招いて晩餐したときの写真を見せてくれた。"We are brothers."とは、あのぼったくりもよく言っていた。また、彼に外務省のハザードマップでレベル3(キリストが生まれた有名な観光地を含む)を避けたと話したら、全然だいじょうぶだ。たしかわかりにくいところもあるが、適切な道をすすめばよい。もし自分が旅行者から1,000NIS(3万円)受け取ったら、エルサレムの旧市街、ベツヘレムや死海など、かなりのところをまわっていける。と言っていた。





警察はいい人たちだった。

昨日のヘブライ大学講師が教えてくれたエチオピア料理のお店へ行った。Shager (Sheger) というお店だ。アフリカ人しかいなかった。店員の子どもは簡単な英語なら話した。

エチオピアビール。


Tibisを頼んだ。シリコンスチーマーみたいなパンはAnjeera。最初、ゴムかと、食べられないかと思った。

ヘブライ大学講師曰く、日本でもこのAnjeeraは食べられるが、エチオピアの小麦粉は使っていないとのこと。つまり、エチオピアの小麦粉を使ったAnjeeraは日本では食べられないのだ。

中には玉葱、ピーマン、肉。パンの表面がデコボコしているのは、そうすることで表面積を大きくし、野菜や肉の水分を確実に吸収するためだろうか(推測)。水の少ないエチオピア(推測)の知恵だろうか。モロッコのタジン鍋を思い出していた。モロッコ旅行記はこちら

フォークはない。手で食べた。もちろんタオルもない。

最初は指でつまんで食べていたが、他の客のアフリカ人を見よう見まねるうち、だんだん慣れて、手で掬うように食べた。

このあとは、友人のヘブライ大学講師の家にまねかれた。

家に行く途中の道。

家のベランダから。

イスラエルのワイン。軽やかなメルロー。

家の屋根から。


こちらはイスラエルでよく見るらしい、TISHBI。これも軽やかなカベルネ・ソーヴィニヨン。
レモン味のオリーブやパンをいただいた。ブルーチーズもあり、フランスの、ぼくの大好物ロックフォールチーズにイスラエルの企業が似せて作っているとのこと。ロックフォールほどの酸っぱさ、水っぽさ、鋭さはなかった。


帰りは、講師おすすめの小道を案内されて帰った。

11月2日
よく朝はホテルの手配してくれたミニバスで7時ごろに(予定は6:45)に出て、空港へ向かった。片道68NIS (約2127円) だった。

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