会うことのない人を想像することの難しさ

まるでこの世での存在を感じられない人たちがいる。向こうが自分にもう会うつもりがないことが伝わってくるような人や、自分がもう会うつもりがなく絶望している人などだ。そのような人は、全く見知らぬ人よりも遠く、薄い存在である。一度会って損切りしたかのようだ。

どうしてそうなってしまうのだろうか。人生や人間関係を追求するなかで、限られた時間の中で自分がどこに時間や労力をそそぐことができるかは限られる。一年に土日は100回もない。優先順位をつけると、そこには損切りしなければならない人も出てくる。損切りというより、ほとんど会う気はないけど、連絡先を知っているような人たちと言ってもいい。とくに、大学に入るとコミュニケーションの幅は広がり、誰かよくわからない人が連絡先に増えていく。そういう人たちも、会う気がない人たちであろうか。彼ら、彼女らを、数十年間生きてきてこの世に存在している一人の人だと想像して実感することは、どうしてこう難しいのだろうか。自分の冷たさや、相手の冷酷さに驚くことがある。

自己欺瞞という言葉がある。「箱に入っている」とも言う。自分が素直に行動できず、その行動を正当化する理由を探し出し、自分よりも劣っている他人の行動を探し、それによって自分を正当化しようとする行為だ。エレベーターに乗ってくる人をわざと気づかないふりして閉まるボタンをおしたり、困っている人の対応をめんどくさがって適当に返事してしまったような場合だ。人は体裁を保つために平気で嘘をつく。当初から行く気も全くないのに「その日はあいてません。また別の機会に誘ってください」と言ったりする。「その日ならあいています」と言いながら、直前になってドタキャンしたりする。自己欺瞞というのはサルトルの『存在と無』の中にあらわれる言葉だが、この点について、アービンジャー・インスティチュート(2006)『自分の小さな「箱」から脱出する方法』(金森重樹監修,冨永星著)大和書房が実践的に、自己欺瞞への対処法として書かれている。もっとも、自己欺瞞に無自覚な人はこの本を手に取ることはないが。

存在を実感できない相手には、モノと同じような態度をとってしまう。そのとき、自己欺瞞であり、箱に入っているのではないだろうか。それに気がついても、やはり会うことのないだろう人の存在を感じることは難しい。われわれは眠るようにして自己欺瞞におちる。

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