責任から逃げ続ける人

「人間は自由の刑に処せられている」と言ったのはサルトルだった。しかし、「存在と無」を読んだが、その記述が見当たらなかった。正確には、「人間は自由であるように呪われている。」<condamné à être libre>である。人間は自由であるからにして、その言動には全責任を背負わなければならないらしい。

LAから友人が来て、私のところに一週間滞在している。彼は日本にいる好きな女の子と会う予定で飛行機をとったが、音信不通になってしまい、やむをえず僕のところに来たらしい。「彼女の予定に合わせて飛行機をとり、授業もサボタージュしているのに」と言う彼は、まるで三千世界が滅んだような仏頂面を見せ付けるので、気の毒になる。

なぜ、彼女は連絡をしないのだろう。会いたくないなら、なぜそう伝えないのだろう。仮に、交通事故にあってICUにいて意識不明が続いて連絡がとれないなら、仕方ない。特に納得のいく理由がないなら、わざわざ飛行機に乗って会いに来た彼が、バカみたいじゃないか。彼にとっては、好きな人のために高給を擲って日本に住むことも厭わなかったらしいが、彼女はそうではなかったのかもしれない。

彼女が彼にもう会いたくないのに、自身が彼を呼んでしまったにも関わらず、その始末をつけず、連絡を無視し続けているなら、それは自己欺瞞だろう。「会いたくない」と言って嫌な顔をされるのが怖く、本当の気持ちを言って人に怒られることが恐ろしく、自分自身にも嘘をついているのだ。人は平気な顔をして自己欺瞞に陥ると「存在と無」には書いてある。思うに、さらにひどい場合には、男の期待を裏切ることはモテる女の証か特権だと勘違いしている人もいる。人の恨みを集めることに慣れ、毅然とすることが強さだと思っている人もいる。

私にも経験がある。予定をブロックしていたのに、会う直前になって「具合悪くなりました」と言ってドタキャンされたりブロックされたりした。「xx日かyy日をあけられます。zz日までに予定を教えます」と言いながら平気な顔して放置され、直前に連絡すると、すでに予定が全部埋まっているなどと言われた。そういう人たちは、どういう気持ちでその仕打ちをしたのだろうか。もしかして、自分は人より優位だから、そうする権利があると思っているのだろうか。

誇大自己妄想症候群がこの十年間で急増したと読んだことがある。彼ら、彼女も、人に自分の気持ちを言うことや、責任を背負うことを恐れ、人を傷つけることを厭わなくなってしまったのかもしれない。そして皮肉にも、その人たちは、世の中を生きづらいものだと受け止め、日々、必死に息継ぎをして生き延びているのかもしれない。

コメント