ブロックはムカつく

ブロックされるとムカつく。私だけだろうか。今はFacebook, Line, TwitterなどのSNSで簡単に特定の誰かをブロックすることができる。そのブロックに対する態度も自分は時とともに変わってきた。

私が20歳のころは、ブロックされると悲しくなった。ひとつひとつの人間関係に執着していた。私は深刻な愛着障害だったのだろう。まるで、人間関係が簡単に切ったり貼ったりできるようで、むなしさを感じた。
私が25歳のころは、ブロックされると気にしなかった。誰に好かれる、嫌われるといったことは自分でどうにかできるものではない。そう思うと、気にならなくなった。愛着障害を少しずつ克服していた。
最近は、 ブロックされると、ムカつくことがある。納得がいく終結であればよいが、不当な扱いや搾取や欺瞞を受けて、ブロックされると、ムカつく。こちらの不快感や意見を主張することができなくなるからだ。それがとても悔しい。

最近、「怒る」ことが大事なんだと思うようになった。戦う哲学者と呼ばれる人がいる。中島義道だ。この4月、彼の著作をいくつか読み、怒ることが大事だと思うようになった。彼によれば、人はみな小さいころから「いい子」であることを期待され、「いい子」であると喜ばれる。そのため、まわりの期待にこたえる従順な生き方をするようになる。自分が不当な扱いを受けたり、不快感を抱いたときに、その気持ちを表明することもなくなる。しかし、それはよくない。怒るといっても、心の底から取り乱して怒るわけではない。「怒っている」ことが相手に伝わればいいのだ。たとえば、語気を強めたり、声を少し大きくしたり、険しい仏頂面をするなどだ。世界に正しいとか間違っているとかはない。法律に従えばよいわけでもない。道徳に導かれることが大事というわけでもない。そのようなことを踏まえた上で、この世界に生きる中で、他者と関わる中で、「自分が不快感を感じています」ということを伝えるのは大事なのだ。

ブロックされると、怒っていることを伝えることすらできなくなってしまう。その点が、とても卑怯で、正々堂々としていない、卑劣な逃げ方だと感じる。不快感や不当な扱いについて抗議できないのだ。一種の暴力的な行為であり態度だと思う。どういうときに怒りを表明したくなるかと言うと、たとえば、最近だと、就職活動をしている学生のウェブ試験を手伝い、内定が出たらブロックされた。搾取されてバカみたいだ。ギブギブギブギブアンドテイクとか言っていたが打ち砕かれそうだ。ブロックされたときには、その不快感を表明するにはもう遅い。もし手紙の時代だったら、着払いで粗大ゴミを送りつけてやったところだ。

インターネットの登場によって、人間関係は簡単に切ったり貼ったりできるようになったのだろうか。答えはイエスだと思う。もし手紙でやり取りしていた時代なら、ブロックすることができない。引越しするまで手紙は届く。今は、寝ながらスマホを2,3回タップするだけで相手の連絡を全て拒否することができる。

以上が、現在、ブロックについて私が抱く考えだ。

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